jueves, diciembre 07, 2006

いま、よみがえる南米のバロック音楽



先月万博公園にある国立民族学博物館であった、タイトルの催しに行ってきました。内容は今月の『Latina』に書いたのでそちらを見てほしいのですが、その準備のために読み返していたドゥルーズの『記号と事件』にあった文章。
「新しい時代になって神学的理性が崩壊し、理性は純然たる人間的理性に変貌するからです。しかしバロックそのものが、すでに神学的理性の危機をあらわしていた。つまりバロックとは崩壊しつつある世界を再構築する最後のこころみだったのです。分裂病の定義もこれとやや似たかたちでなされているし、いわゆるバロック型の舞踏と分裂病患者の姿勢が対照されたことすらあるのです。しかし、自分たちの世界は考え得るかぎりで最良の世界だ、とライプニッツが語るとき、この「最良」は古典主義時代の善にとってかわり、まさに善の破綻を前提にしているのだということを忘れてはならない。自分たちの世界が最良のものであるのは、それが善に支配されているからではなく、新しいものを産み出し、それを受けいれるのに適しているからだ。ライプニッツはそう考えるわけです。とても面白い考え方だし、ヴォルテールしても、まさかこの考え方を拒絶することはないでしょう。」p.269
今の時代を否定的に言うのは、いくらでもできるけれど、この箇所と同じ意味で、今の時代は面白いと思います。